人気ブログランキング | 話題のタグを見る

はんどめいどスキ!お出かけ好き!楽しいことスキ!


by chiki67
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

大好きな人

大好きな人_b0160545_1232246.jpg

平成22年3月22日、私の大好きな母方の祖母が亡くなりました。

祖母は恰幅がよく、とても話し好き・世話好きでした。
また、とても心配性でもありました。
一緒には暮らしていませんでしたが、
人付き合いもよく、みんなから親しまれていたように思います。

遠方ながら、小さい頃からよく遊びに行き、
私が結婚して同じ広島へ来た時は
どんなに心強かったことか。

ほんの10年ちょっと前まではとても元気で
私の結婚式・子どもの出産・お宮参り・・・など
よく来てくれたものです。

また、幼少~学生の頃は頻繁に手紙のやり取りをし、
結婚してからは電話のやりとりをし・・・。
何でも知っている祖母には
料理法や礼儀作法など
生活の知恵もたくさん教えてもらいました。

私にとって、父方の祖母よりも
母方の祖母の方が特別な存在で
ただの「おばあちゃん」という存在ではありませんでした。

というのも、幼いころから私の家庭環境は困難なもので
その度に祖母にも心配かけてました。
いや、掛け続けていました。

結婚してからは特に祖母の存在が大きくなったのも事実です。

それが、数年前から体にガタがきました。
大好きだった畑仕事もままならず、
ついに施設へ入所。
同じ地に生まれ、同じ地に育ち、同じ地に嫁ぎ
同じ地で子を育て・・・
祖父を亡くしてから家を守り、
そして孫(私のいとこ)を育てててきた祖母。

その地を・その家を愛して止まなかった祖母は
入所に対してはさぞかし辛かったことと思います。

私も時間が許す限り、年に数回施設を訪ねて行ってました。

初めの頃は、それでもいつもの「ばあちゃん」節が聞かれましたが
だんだんと弱っていくのも目に見えました。
以前の祖母ではないかのように
卑屈っぽくもなり・・・。
それでも本来の性格も出て
私の子ども達に対して、お節介ばあちゃんも復活してました。

しかし、ここ1年強ぐらい前でしょうか・・・
私のこともわからなくなり、だんだんと色んな記憶が薄れていき・・・。

入所しながら、病院への入退院を繰り返すようになりました。

あんなに恰幅のよかった祖母はみるみるやせ細っていき
まるで別人のようになりました。

そして自分で起き上がる事も食べることも、返事をすることも出来ず、
人の手を借りるしか生きていくことが出来なくなり・・・

3月22日、とうとう天に召されて行きました。
以前の祖母の写真を眺めながら
まだまだ実感できず、今にも口癖だった
「ほぉ~ね(そうね)、ほぉ~ね」
「〇〇しんさいよ」
「子どもの階段の上り下りは気をつけて
 あんたも気をつけんさい」
「旦那さんを大切に・・・」
「いいあんばいにね」
という声が聞こえてきそうです。

肉体的にはこの世に存在しないけど
これからは今まで以上に傍に居てくれる気がします。

とりたてて感謝の気持ちを言ってなかったけれど
きっと届くはず。

『おばあちゃん、小さいころから色々心配かけてごめんね。
 私は、おばあちゃん・お母さんのおかげで
 今を生きていられてるよ。
 おばあちゃんには単なる「感謝」という言葉だけでは足りないくらい、
 とても大きな思いがあるよ。
 今までありがとう!!!そして、これからもずっと見守っていてね。
 おばあちゃんが安心して笑っていられるよう、私も笑顔でいるから。

 ずっとずっと頑張ってきたおばあちゃん。
 やっとゆっくり休めるね。
 ずっと会いたがっていたおじいちゃんとやっと会えて良かったね。
 これからは今まで苦労してきた分、
 おじいちゃんとゆっくり過ごしてね!
  
 おばあちゃん、大好きだよ!!!』
by chiki67 | 2010-03-26 12:31 | 暮らし